得々三文会は「視野と繋がりを少し広げてから職場へ行こう!!」をコンセプトに、名前の通り朝の時間を有効活用していこうという会です。
 
【発表内容】
『『入峡記』を繙く』
著者/堀内万寿夫
装丁・レイアウト・写真/小田 敬
史料収集・校閲/八田政恭
 
元山梨県立文学館学芸員の堀内さんが執筆を担当し、同級生3人が協力して出版した。八田さんがインターネットで公開されているデジタルアーカイブスで『入峡記』を見つけ、甲府一高の同級生に呼びかけ出版を企画した。『入峡記』の全文をわかりやすい文体に書きあらため、資料に出てくる寺や神社の地図のほか、解説や写真も加えた。「現地に足を運ぶとさまさざまな発見」があり、また「明治の山梨をかんじられる紀行文としておもしろく、武田氏の最期を考察した歴史書としても読める。」(2023年3月9日山梨日日新聞より抜粋引用)
 
同級生3名が協力して昨年末に出版した『『入峡記』を繙く』の主に編集を担当した経験談です。装丁のコンセプト、レイアウトなど編集雑務についての初歩的な話と、この本を作るにあたって色々と経験した話を中心に、本の内容以外の関連雑学を話したいと思います。
 
■プロフィール:
小田 敬さん
昭和42年甲府一高卒、独協大学中退、テレビ局の暗室勤務を経て、東京造形大学卒、28年間女子栄養大学出版部に在籍、雑誌「栄養と料理」編集部から書籍編集課に移動、単行本の編集、写真撮影、パソコンソフト制作などに従事。2003年母親の死去により帰郷。アパート経営、ブドウ園の世話などの傍ら交通安全協会支部長、自治会長など、地域の様々な雑務に翻弄されながら、現在に至る。
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『入峡記』の内容について
 
『入峡記』とは旧幕臣であり、彰義隊にも参加し、『日本奴隷史』などの著者である阿部弘蔵が明治35年に書いた山梨への紀行文であるが、先祖阿部加賀守勝宝(武田家の使い番十二衆の一人)の墓参を兼ねて武田勝頼公の末路を、様々な文献を参照しながら考察した歴史考察書でもある。
 
入峡記序を記した「鷹洲逸史完之」織田完之は 明治8年頃ここ八田村の八田家を訪れたであろうことが伺える記述がある。
 
勝頼公が新府を出立し、駒飼での滞在から天目山までの経路の考察。敵軍滝川一益の進路、川尻秀勝の進路について考察している。
 
しかしなぜかその後の歴史考察分野では殆ど取り上げられていない。阿部弘蔵の記述は難解で現代の国語教育めレベルでは理解が難しいと思われるため、この『入峡記』を現代の言葉に書き直して、改めて世に出そうと考えた。
 
読者の理解を助けるためと、歴史遺物の紹介をするために写真を多用して一冊の本に纏めた。
近年の歴史研究とは一線を画し、通説、俗説を見直す意味でも、120年前の明治35年にどんな資料や遺物があったのかを確認する意味でも一読の価値がある。
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【開催概要】
日時:令和5年6月6日(火)
時間:朝 7:00-8:00
参加費:500円(会場費)
お時間までに直接お越しください。
 
場所:春光堂書店
(甲府市中央1-4-4)
https://harulight.com/omisejyoho/access/
TEL : 055-233-2334
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■アフター得々三文会について
 
 得々三文会の終了後にさらに発表内容を深める二次会をご用意しました。
 時間:8時~9時30分
 場所:TO-CHI(春光堂書店のとなり)
 参加費:500円(会場費)
 
対話を通じてより一層の発見と学びにつながる場となりますので、お時間がゆるせば、引き続きぜひご参加くださいませ。
参加ご希望の方は得々三文会の終了後にお隣にお移りください。
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得々三文会ブログ
http://kai-mon.net/tokutoku3/
 
【会について】
◇会の終了後、写真撮影します。イベント開催の様子をインターネット上に掲載します。
◇その他、不明な点がありましたら、運営の反田亘昭あてにお問い合わせください。
 
【楽しい会にするために以下のルールを守って下さい】
◇会終了後の交流やそれぞれの活動のRRなどは可能ですが、
会終了後に自己責任で節度を持って行って下さい。
◇下記に該当する方を運営が発見、または、参加者から相談があった場合は
該当者の出入り禁止措置とします。
・勧誘・セールスを目的として参加をしている方
・参加者や会に迷惑をかけると運営が判断をした方
以上、ご理解とご協力をお願いします。