『世阿弥の稽古哲学』西平直著 東京大学出版会

しばらく品切れ状態が続き、古書で高くなっておりましたが、知らない間に「増補新装版」として登場しておりました。
お手元に一冊いかがでしょうか。
著者は現在は京都大学大学院教授とのことですが、経歴をみると甲府生まれとのことでした。身近な人ですね。
■千夜千冊にも紹介されていました
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■内容紹介
芸道思想の古典とされる世阿弥の伝書.そこに秘められた深い稽古の智慧.『風姿花伝』だけ読んだのでは見えてこない,伝書全体の根底に潜む壮大な稽古の逆説的ダイナミズム.「無心」「劫来」「我意分」「離見の見」――その稽古哲学を読みとく試みである.
■主要目次
はじめに
1章 伝書はいかなる視点から読まれてきたか――そしていかに読みうるか
   1 禅の思想から読む――無心・修行・芸道
   2 演劇論の視点――演者の意識の立場
   3 鎮魂儀礼の地平――憑依・憑霊・怨霊鎮め
   補論 「本来の執筆意図」はブラックボックスとする
2章 伝書理解のための補助線――理論枠組みの設定,そして作業図
   1 「用心とその先」「有文と無文」――世阿弥の語りに補助線を引く
   2 術語の設定と三本の補助線
   3 基本的枠組みとしての作業図
   補論 「意識の視点」から伝書を読むことは適切か
3章 稽古の教えに秘められた智慧――稽古の「次第梯登」
   1 「ニ曲」と「三位」――なぜニ曲を習い終えるまで三位を習い始めないのか
   2 「芸風順路」と「相応成就」――なぜ基礎(基本・土台)が大切なのか
   3 「劫来」の論理――稽古の順と芸位の序列は異なる
4章 稽古開始以前の子ども――「七歳をもて初めとす」が前提にした子どもの身体
   1 「児姿を三位に残す」という謎――なぜ「童舞」が最初なのか
   2 稽古開始以前の子どもの身体――「下地」と「自然にし出すこと」
   3 子どもの身体と無心の身体――憑依的身体
5章 稽古における型の問題(研究ノート)
   a 能勢朝次『世阿弥十六部集評釈』と源了圓『型』
   b 「形木」――世阿弥の用語法の確認
   c 規範性・法則性――型を「動作の単位」とする見解
   d 観世寿夫氏の「型」理解――型は流れ(音楽性)を促す
   e 芸道思想の中の/外の世阿弥――江戸期に固定した表現としての型
   f 習得プロセスにおける型の機能――その多様性
   g 「型の習得は既存の型の脱条件化である」をめぐって
   h 型の両義性について
6章 伝書における無心の厚み
   1 濃密な強度を秘めた集中――「せね隙をつなぐ」と「わが心を我にも隠す」
   2 観客との一体感――しかし演者の視点を保つ
   3 習道の成果なのか――習道によって得られないが,習道なしにも得られない
   4 「無心」というトポス
7章 伝書における二重の見――「離見の見」と「書く世阿弥」
   1 「目前心後」と「見所同心」
   2 二重の見のダイナミズム
   3 「書く世阿弥」の二重性――「舞う世阿弥」と「書く世阿弥」
   補論 「二重写し」の二重,あるいは「移る堺」について
8章 有主風と我意分――無心における創造性・主体性とはどういうことか
   1 有主風――似せる・似せぬ・似得る
   2 「我意分」の謎――役柄の核心的ポイント
   3 身体のゼロ地点――創造性を可能にする身体
9章 息と音楽性――根底に流れる位相を稽古するとはどういうことか
   1 音楽性は稽古できるか
   2 「息づかい」と音楽性――伝書は息の工夫である
   3 機――タイミングと接続
10章 序破急――成就するとはどういうことか
   1 生成の内的必然性――宇宙的秩序の形而上学
   2 意識の立場――「こちら側」と「あちら側」
結び――むすんで,ひらいて
補章 世阿弥の還相――〈他者〉の問題
   1 禅と世阿弥――還相の視点
   2 「無心」の境地――「心中に一物もなし」と「我心をわれにも隠す安心」
   3 還相における他者――「離見の見」と「児姿の幽風」
   4 結び――稽古の逆説,あるいは「二重の見」
あとがき
増補新装版 あとがき
「書く世阿弥」との対峙――西平直『世阿弥の稽古哲学』に寄せて(天野文雄)
■千夜千冊の紹介はこちらです。

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